島崎藤村

藤村とは?

島崎藤村 島崎藤村は、明治〜昭和(1872 - 1943)にかけての詩人・小説家。
本名は島崎 春樹。筑摩県の馬籠村(現・長野県→岐阜県中津川市)に生まれる。
生家は代々、本陣、庄屋、問屋を兼ねた名家で、父の正樹は17代当主の国学者だった。

1881年(明治14)に上京し、91年明治学院を卒業。
1893(明治26)年、北村透谷らと「文学界」を創刊し、教職に就く傍ら詩を発表。
1897年、青春の叙情と憧れをうたった詩集『若菜集』が大きな反響を呼び、詩人としての名声を得た。 しかし、透谷の自殺などから、理想よりも現実に目が向き、現実の中にある「生」を表現するために小説家へと転じた。

1906年、被差別部落出身の主人公、瀬川丑松(うしまつ)の苦悩と告白をえがいた長編小説「破戒」を 発表し、自然主義文学の先駆者として注目を浴びた。小説家としての地位も確立し、 その後は、自伝的な小説「春」(1908)、「家」(1910〜11)、「新生」(1918〜19)などを発表した。

そして、幕末維新期の歴史と木曽の自然を背景にしながら、父正樹をモデルにした大作「夜明け前」(1929〜35)を発表。 近代日本文学史上、屈指の傑作と評価される。
1943年(昭和18)、脳溢血で死去。


藤村の年譜

西暦 年号 年齢 出来事
1872 明治 5年 0才 2月17日、筑摩県の馬籠村(現・長野県→岐阜県中津川市)に生れる。
1878 11年 6才 神坂小学校に入学。
1881 14年 9才 兄とともに上京。泰明小学校に通う。
1886 19年 14才 泰明小学校を卒業。父・正樹、死去。
1887 20年 15才 明治学院普通部本科に入学。
1888 21年 16才 木村熊二から受洗。
1891 24年 19才 明治学院を卒業。
1892 25年 20才 明治女学校の教師となる。
1893 26年 21才 北村透谷、星野天知らと『文学界』を創刊する。また教え子の佐藤輔子を愛したため明治女学校を辞め、キリスト教を棄教する。
1895 28年 23才 透谷が自殺。長兄が公文書偽造行使の疑いで下獄。
1896 29年 24才 母・縫、死去。
1897 30年 25才 処女詩集『若菜集』を出版。
1898 31年 26才 東京音楽学校選科入学。
1899 32年 27才 小諸義塾に赴任。明治女学校卒業生、函館出身で網問屋の次女・秦冬子と結婚。
1900 33年 28才 長女・みどり、生誕。「千曲川のスケッチ」を書き始める。
1902 35年 30才 次女・孝子、生誕。
1904 37年 32才 三女・縫子、生誕。
1905 38年 33才 上京。縫子死去。長男・楠男、生誕。
1906 39年 34才 『破戒』を自費出版。孝子、みどりがそれぞれ死去。
1907 40年 35才 次男・鶏二、生誕。
1908 41年 36才 「春」を『東京朝日新聞』に連載。三男・蓊助、生誕。
1910 43年 38才 「家」を『読売新聞』に連載。四女・柳子、生誕。妻・冬子、死去。
1913 大正 2年 41才 手伝いに来ていた姪・こま子と過ちを犯しこま子が懐妊したため、関係を絶つためにフランスへ渡る。
1916 5年 44才 帰国。こま子との関係が再燃する。9月、早稲田大学講師に就任。
1918 7年 46才 「新生」を『東京朝日新聞』に連載。
1929 昭和 4年 57才 「夜明け前」を『中央公論』に連載。
1935 10年 63才 日本ペンクラブを結成、初代会長に就任。
1943 18年 71才 8月22日、神奈川県大磯町にて死去、満71歳。戒名は文樹院静屋藤村居士。大磯町地福寺に埋葬された。
年譜はフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋しています


代表的な作品

若菜集 若菜集


まだあげ初めし前髪の 林檎のもとに見えしとき 前にさしたる花櫛の 花ある君と思ひけり 明治30年春陽堂刊の初版本を底本に、振り仮名、仮名遣い、文字組を底本通りにし、初版のデザインを模した装丁で再刊。

春
岸本捨吉の教え子勝子に対する愛は実を結ぶことなく、彼の友人であり先輩である青木は理想と現実の矛盾のために自ら命を絶つ。――青春の季節に身を置く岸本たちは、人生のさまざまな問題に直面し、悩み、思索する。新しい時代によって解放された若い魂が、破壊に破壊をかさねながら自己を新たにし、生きるべき道を求めようとする姿を描く、藤村の最初の自伝小説。

破戒
明治後期、部落出身の教員瀬川丑松(うしまつ)は父親から身分を隠せと堅く戒められていたにもかかわらず、同じ宿命を持つ解放運動家、猪子蓮太郎の壮烈な死に心を動かされ、ついに父の戒めを破ってしまう。その結果偽善にみちた社会は丑松を追放し、彼はテキサスをさして旅立つ。激しい正義感をもって社会問題に対処し、目ざめたものの内面的相剋を描いて近代日本文学の頂点をなす傑作である。

夜明け前 夜明け前
木曽路はすべて山の中である-黒船来航から長州征伐,王政復古へと続く幕末の激動は,山深い木曽路の宿場にも確実に波及してゆく.馬籠宿の本陣・庄屋・問屋を兼ねる第17代の当主青山半蔵は,平田派の国学を信奉し,政治運動への参加を願うが,木曽11宿の総代として街道の仕事は多忙を極め,思いは果たせない.


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